言葉のない世界を想像することができるでしょうか?
私たちは言葉を話したり書いたりするだけではありません。
考えるときにも、言葉を使っています。数学の問題でさえ、言葉なしには解けません。
「言葉」は、ものを考える基(もとい)。あらゆることの種になるのです。
しかし昨今、この言葉が、危機に瀕しているように思えてなりません。
二十年近く市内の中堅塾で国語講師をしてきて感じるのは、子供たちの語彙が年々貧しくなっていること・・・ことわざや慣用句、単語や熟語などの知識が、圧倒的に不足しているのです。
手持ちの言葉が貧しいと、自分の言葉で考えることができなくなります。
人間を動物と区別するのは、「考える力」です。
そして、言葉から生まれる「感情」です。
私たち大人には、子どもたちの思考や感情の材料となる「言葉」を育てる責任、たいへんだけれど楽しい仕事があるのです。
レイチェル・カーソンは、著書「センス・オブ・ワンダー」で、こう言っています。
「すべての子どもが生まれながらに持っている《センス・オブ・ワンダー》=《神秘さや不思議さに目を見はる感性》を、いつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを、子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。」
・・・「すくなくともひとり」ですから、そばにいる大人は多いほうが良いでしょう。
年齢や性格に合わせた働きかけを、マンツーマンや少人数でと考えています。
大きな柱は、スローリーディング。年に一冊か二冊のペースで、文章の美しい本を選んで、調べたり、想像してみたり、時には体験したり・・寄り道することを心がけながら、ゆっくりゆっくり読んでいきます。文章理解を深め、感受性を育てることを主眼に、論理性や文法もレクチャーしていきます。
学年が上がれば、受験に対応する授業の性格を強くしていきますが、小さいうちは本を読む楽しみの先達として、一緒に「国語の時間」を楽しみたいと考えています。
楽しんでつけた力こそ、本物の教養というもの。
国語の問題文は、選りすぐりの名作ぞろいですから、皆が苦しんで取り組む受験勉強さえ、楽しんで取り組める糧に変わります。
受験会場で問題文に感動して涙するような感受性と余裕・・・そうなれば、試験問題など取るに足りません。
満ち種塾は、言葉を通して、子どもたちの心に「種」をいっぱい蒔く場所です。
子どもたちの未来のある日・・
その種がふと芽を出す。ハッと気づくと花を咲かせている。実がなっている。
満ち種塾で、道草をくいながら
楽しさの種に満ちた国語の時間をすごしましょう!